【かけがえのない友人の旅立ち①】

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弔意のお花

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先週、私は30年来のお付き合いの、
かけがえのない友人の旅立ちを見送りました。
初七日の今日、Mさんを偲びつつ、私の想いを
このブログに書き記したいと思います。

20代で父を見送り、30代では母方の伯母と
土屋の祖母。
ここ数年で、母方の祖母と父親替わりだった伯父。
私にとって大切な親や親族を立て続けに送って
きましたが、同年代で共通の友人も多く、
またお互いの20代を父の法律事務所の秘書として
一緒に働いた家族のような存在の友人を見送る
ということは初めてでした。

そもそも、私がクラニオセイクラルセラピー(頭蓋仙骨療法)という、
大半の人たちが今から二十数年前には全くといっていいほど
聞いたことがないようなセラピーを学び始めた最初のきっかけは、
父を癌で亡くしたから。
父は、癌が第六胸椎へと転移し下半身麻痺で最後の半年は
車椅子となり、病室を仕事場にして息を引き取る前日まで、
全精力を傾けて仕事をしました。

当時父の事務所にいた私は(最近でこそ『パラリーガル』という
言葉が出てきて一気に華やか?な仕事として認知された感がありますが
当時は秘書兼事務、経理と何でも屋でした)
母と共に父の看病し、仕事をサポートしました。

その時に経験したり、疑問に思いながら答えの出なかった事を、
私は今日に至るまで、何度も何度も自問自答してきました。

そして、《病気や怪我を人に治してもらう》人任せな姿勢ではなく、
先ずは自分自身が『今、この時、この瞬間自分らしく生きる』
ためにどのようにあるべきか、
《自分自身の身体や心を深く見つめ、対話する》ことが
最も大事なことなのだと、
常に傍らに寄り添い、それをサポートするのが
クラニオセイクラルセラピストとしての私の役割であると同時に、
《私》一個人としても、常に寄り添える存在でありたい、
そうあることが私の願いだと思うになりました。

こちらのブログでは、以前他のブログで書いていた時のようには
プライベートな事柄をアップすることをしてきておりません。
ですが、クラニオセイクラルセラピストであると同時に、
一個人としても、かけがえのない人を見送るということがらから、
今までにも増して《自分らしく生きるということ》に
深くコミットしました。

今回の私にとって大きな出来事を、自分自身のために、
そして天国へと旅立ったMさんがその生涯の中でご縁があり
時間を共有してきた方達と、
このブログを通じて何かしら思いを共有し、
分かち合っていくことが出来ればと思います。

それがMさんが私たちにもたらしてくれた最大のギフト
なのだと思い、このブログに書き記すことにしました。

サロンでのセッションとは直接関係がありませんし、
長文になるかと思いますので、
ご興味の無い方はどうぞスルーしてください。
(②へ続く)